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というわけで、ホラー映画の専門家でもなく、67年夏の伝説的テレビ放送を見ているわけでもなく、もちろんフィルム・コレクターでもない私が、「シエラデコブレの幽霊」のプリントを抱えて右往左往するに至った経緯を書いています。
アメリカから届いたその段ボール箱には、16mmフィルムが2巻入っていた。フィルム缶は薄紫色の金属缶で、中央のラベルには「The Haunted」の印字があり、それぞれ「Pt.1」「Pt.2」の判が捺されている。フィルムを少しだけ引き出してみると、2巻目のリーダーに「Villa di Stefano」と刻まれていた。
それを見てようやく緊張が解けたのをよく憶えている。「The Haunted」は「シエラデコブレの幽霊」のオリジナル題だし、「Villa di Stefano」はジョゼフ・ステファノの製作会社である。半信半疑のまま購入し、まったく別の作品だったら……と危惧していたわけだが、それがようやく75パーセントぐらいの確信に変わった瞬間だった。
とはいえ、困ったのは16mm映写機がないこと。一昔前のように、図書館や学校に常備されているという時代ではない。あったとしても素人が適当に映写して、プリントを痛めてしまったら一大事である。そこでレジュメを作り、興味をもってくれそうなビデオメーカー数社に売り込んで、内容確認を兼ねた試写を打診したのだが、はかばかしい返事は得られなかった。そして、そうやって手をこまねいているうちに、「シエラデコブレの幽霊」の生みの親であるジョゼフ・ステファノの訃報が伝えられたのである。2006年8月25日のこと、84歳だった。
その日、SFファン仲間の樫原辰郎さん(映画監督・脚本家)が、mixi日記でジョゼフ・ステファノの死を悼み、唯一の監督作である「シエラデコブレの幽霊」が見られない現状を嘆いていた。それを読んだ私はその場で樫原さんに電話して――
「あるんですよ」
「あるってなにが」
「だからその幽霊が」
「どこに」
「うちに」
という落語のようなやりとりの末、とにかくそれは映写してみなければ話にならないという結論になった。
ここからが樫原さんの大活躍で、あっという間に、脚本家の高橋洋さんを巻き込み、京橋の映画美学校の試写室を借りて、映写のお膳立てを整えてしまった。忘れもしない9月24日(ステファノの死の1ヶ月後)、日曜の午後の人影もまばらな都心の、古めかしいビルの地下の一室で、内々の試写が行われたのだった。
もしフィルムの中身が別物だったり、まともに見られない状態だったりしても、怒らないなら――という条件付きで、樫原さんと2人で友人知人に声をかけた結果、当日集まったのは25人ほど。われわれの世代に「シエラデコブレの幽霊」という作品の存在を教えてくれた書き手の一人である聖咲奇さんの応援を得たのも心強いことだった。
結果として、それは確かに「シエラデコブレの幽霊」だったし、40年前のプリントにしては驚くほど保存状態もよかった。われわれは地下上映会を堪能し、正式DVD化に向けてビデオメーカーに働きかけていくべく気勢を上げたのだった。(この項まだ続く)
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そもそもの発端は2004年のこと。WOWOWの名物プロデューサーである渡邉数馬氏から連絡があり、ある作家の選んだ映画特集というのを企画しているという。ところが、怪談やホラー映画に非常に造詣の深いその作家の希望リストには、『本所七不思議』(1937)といった幻の映画がずらり。頭を抱えた渡邊氏は、1本だけ混ざっていた洋画を何とか発掘できないかと問い合わせてきたわけだが、それが「シエラデコブレの幽霊」だった。
「それは有名な幻の映画で、正体は不明、プリントが現存しているという話も聞いたことがない」と回答し、企画の話はすぐに立ち消えになったのだが、個人的に気になったので調査を続けることに。わがホラー映画指南役である殿井君人さんや比呂さんにも相談し、資料を漁るうちに、少しずつ内容や製作の経緯、伝説化した事情が判ってきた。こうなるといよいよ見たくなるわけで、海外のビデオ収集家などにも照会メールを出したが、そのときは空振りに終わった。
ところが、それから幾星霜、すっかり忘れたころになってメールが返ってきた。それらしき作品のフィルムを、知人がeBayに出品しているというのだ。売り手は米北東部の人間で、他にも古いフィルムやカメラ、撮影機材を多数出品しており、そういった関係の業者なのだろうと思わせる。米国内限定で競売に付されたそのフィルムは、指定の価格に達せず、結局eBayでは落札されなかった。
そこですかさず交渉に入ったわけだが、さすがに考えましたね。VHSでもDVD-Rでもなく、16mmプリント! フィルム・コレクターという人士がいるのは知っていても、それは杉本五郎とか芦屋小雁といった雲の上の人々の話で、自分がフィルムを買うことなど想像したこともない。しかし、こればかりは仕方がない、この機会を逃したら幻の映画が幻のままになってしまう(かもしれない)。このときばかりは苦手の英語メールにも力が入り、もう一人いるという買い手(オーストラリアの人だったらしい)との熾烈な争いを経て、翌週にはもうフィルム缶の入った段ボール箱と対面していたのだった。(この項さらに続く)
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朝日放送の番組「探偵ナイトスクープ」に協力し、ちょっとだけ出演もしました。朝日放送では今夜放送されます。
8月28日(金)午後11時17分から(朝日放送など)
私は2週間後の東京放送まで見られません。
9月11日(金)午後11時30分から(TOKYO MX)
公式サイトの「次回の見所」から引用します。
http://www.asahi.co.jp/knight-scoop/
> 3.『史上最高に怖い映画』田村裕探偵
> 東京都の男性(25)から。今から44年前、1965年にアメ
> リカで制作された“シェラデコブレの幽霊”というホラー映画は、
> その試写版を見たアメリカのテレビ局幹部が、あまりの恐怖から
> 嘔吐したといわれ、ついには「恐すぎる」という理由で、アメリ
> カ本国でお蔵入りしたとか。ある本でこの作品を知ったが、今で
> はとても入手困難と書かれていた。なんとか、その“シェラデコ
> ブレの幽霊”を探し出し、観賞させて頂きたい、というもの。
番組の構成が最終的にどうなっているのか判りませんが、公式DVD化のための良いきっかけになれば、と思って協力しました。テレビ放送の影響力は非常に大きいので、予想を超えた反響があると思います。この件、続報します。
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