いよいよ今日の放送が日本初公開となる『殺人捜査線』。1958年の映画なので、じつに半世紀ぶりのお目見えになる。
冒頭1分、電光石火のバイオレンス・アクションに度肝を抜かれる――という仕掛けは『グランド・キャニオンの対決』と同じだが、『殺人捜査線』のほうが手が込んでおり、何が起きたのかすぐにはわからないほどの凄味がある。
『殺人捜査線』は、サンフランシスコを舞台にした犯罪アクション映画。密輸ヘロインの回収を請け負った殺し屋2人組と、市警察の刑事2人組の対決を、強烈なタッチで描いている。
もとはといえば1954年から6シーズンも続いた人気の警察テレビシリーズ「捜査線」からのスピンオフ映画で、シリーズ第1話を演出したドン・シーゲルを監督に迎え、のちに『夜の大捜査線』『センチュリアン』といった警察映画を手がける名手スターリング・シリファントが脚本を担当している。
ポスター中央の面通し場面
原題の「ラインナップ」とは、一列に並んだ被疑者の顔を見せるいわゆる「面通し」のこと。そのシーンや科学捜査の場面、警察専用の電話回線を使った機動捜査の場面などは、最先端の警察の勇姿を紹介する意味があったに違いない。
1958年当時、コロンビア日本支社が公開をあきらめたのは、その時点ではテレビシリーズが放送されていなかったためだろう。日本ではシリーズ後半が61年に「捜査線」として放送され、64年になってようやく前半が「サンフランシスコ・ビート」の題で放送されたようだ。
つまり今回の『殺人捜査線』という邦題は、「捜査線」と『夜の大捜査線』にひっかけた上に、いかにも50年代映画らしいシンプルさを感じさせるもので、今どきのごちゃごちゃした邦題(『ザ・ラインナップ 非情の殺人者たち あの密輸ヘロインを奪え!』みたいな)にしなかったWOWOWのセンスに大いに感謝したい。
ポスター上部のコピー
「強烈すぎるし、大きすぎる、テレビには!」「この追跡劇は劇場の大画面で見るしかない!」という惹句からは、これがスピンオフ映画であるということだけでなく、当時の映画とテレビの対決ムードが伺える。じっさいスタンダード・サイズではなく、ヴィスタ・サイズ(1:1.85)の大画面映画として製作された(ヴィスタヴィジョン方式で撮影されたかどうかは不明)。
もとは警察ドラマなのに、実質的な主役は殺し屋というあたりが、ドン・シーゲルの真骨頂。偏執的な殺し屋を演じて強烈な印象を残したイーライ・ウォラックの名前が、ポスターでも最上位に。「『ベビイドール』で戦慄のデビューを飾った彼が、今度は殺し屋に!」と書かれている。
イーライ・ウォラックといえば、『荒野の七人』の山賊の首領や、『続・夕陽のガンマン』の“汚い奴”といった悪党役が最高で、『グッドフェローズ』のジョー・ペシみたいなキレた役柄が得意だったわけだが、それ以前にこんな代表作があったとは驚くほかない。90歳を超えた今も現役で、最近では『ホリデイ』の老脚本家役で元気な姿を見せてくれたのはご存じのとおり。
ポスター右下の名前
本来の主役であるガスリー警部補ことワーナー・アンダーソンはここに。
サンフランシスコを舞台に、刑事と殺し屋2人組の対決を描いた、撃ち合いありカーチェイスありのアクション映画――といえば『ブリット』。イギリス出身の俊英監督ピーター・イエーツが、あるいはプロデューサーのフィリップ・ダントニが、この『殺人捜査線』を見たのは間違いないだろう。
そしてドン・シーゲル自身の『殺人者たち』も『刑事マディガン』も『ダーティハリー』も、『殺人捜査線』なかりせば、まったく違った映画になっていた可能性がある。また、有能な個人と組織の機動力の対決というテーマは、後期の『突破口!』や『ドラブル』まで続く、ドン・シーゲルお気に入りのテーマになっていく。
こんな映画があったのだ!
投稿時間 : 02:36 個別ページ表示 | コメント (5) | トラックバック (1)
「知らない奴とはピンポンしない方がいいよ」(和田誠訳)
というのは、スチュアート・カミンスキーのミステリ小説『ロビン・フッドに鉛の玉を』における青年ドン・シーゲルのセリフ。若き日に卓球選手として活躍し、不況時代には賭けピンポンで食べていたこともあるというシーゲルの逸話を知っていると、にやりとしてしまう場面なわけだ。
カミンスキーはそもそもドン・シーゲルへのロング・インタビューを評伝 "Don Siegel: Director" (1974) にまとめた映画評論家。40年代のワーナー・スタジオを主な舞台にした小説で作家デビューするにあたり、発想の原点になったドン・シーゲルを登場させたのは理の当然だろう。
アルフレッド・ヒッチコックへのささやかな対抗心なのか、ドン・シーゲルも自作にちらっと姿を見せるのが好きな監督であり、『突破口!』で、マフィアの隠れ家でピンポンに興じる男を演じていたのは忘れがたい。『グランド・キャニオンの対決』にも、トレードマークの帽子とパイプ姿で映っているのでお見逃しなく。
というわけで、今日からいよいよ特集放送が始まる。番組予告を見たら、『グランド・キャニオンの対決』(スコープ・サイズ)と『殺人捜査線』(ヴィスタ・サイズ)の絵が壮絶に美しくて涙が出そうになった。
ここでひとつ訂正。前回のエントリーで「全作品オリジナル・サイズのHD新マスターで放送」と書いたが、『第十一号監房の暴動』のみ、オリジナル・ネガまで遡れず、HDマスター化できなかったそうである。これのみ独立系のアライド・アーティスツ作品なので、残念だが仕方がない。スタンダード作品(IMDbによれば1:1.37)なので、ノートリミングのオリジナル・サイズ放送なのは他と同じである。
ドン(ドナルド)・シーゲルは、1912年10月26日、シカゴのウエストサイドに生まれた。両親はヴォードヴィルのマンドリン奏者だったが、音楽の通信教育事業を始めて成功し、ドンはニューヨークとシカゴを行き来しながら育った。家は中流のユダヤ人家庭だったが、本人曰くユダヤ人として育った実感はないとのことで、長じて無神論者になった。
高校卒業後、両親に連れられてヨーロッパへ。ケンブリッジのカレッジで聖書研究を専攻し、卓球選手として名を上げ、ロンドンの王立演劇アカデミーでは演技を、パリではフランス語を学んだという。
大恐慌ののち、バンドのドラマーとして客船で働きながら帰国。21歳のとき、無一文でロサンゼルスにたどり着き、とくに映画好きというわけではなかったが、叔父の口利きでワーナー・ブラザーズのフィルム保管庫に職を得た。
ワーナーには結局14年間在籍し、その間にモンタージュ部や二班の監督として、『彼奴は顔役だ!』『壮烈第七騎兵隊』『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』『情熱の航路』『鉄腕ジム』『ヨーク軍曹』『カサブランカ』などなど、無数の映画のアクション場面を担当した。
ドン・シーゲルの監督作のほとんどに共通している、明解な特長・美点が2つある。ひとつは「極端に経済的な撮影・編集の手法」というスタイル上の特長。もうひとつは「人を善悪で峻別しない態度」というテーマ上の特長。
経済的なスタイルというのはつまり、ややこしいアクションを最少限のカット数で見せたり、ストーリーの一部を大胆に省略したりする技術で、これによって、もったいぶらずにずばっと物語る直截な語り口、暴力描写の鮮烈さといった、ドン・シーゲルらしさが生まれた。
ワーナー撮影所のバックロットで、来る日も来る日も撃ち合いと殴り合いを撮り続けた経験が、このスタイルを作り上げたと言っていいだろう。
ドン・シーゲルの映画には、冷酷無比の悪党、狂気の殺人者、愛よりも金を選ぶ悪女が、必ずといっていいほど登場する。彼らの多くは主人公よりも存在感があったり、事実上の主役であったりする(この世界では、善人であることよりもプロであることが重視され、悪人ではなくアマチュアが軽蔑されるのだ)。
このテーマ上の特長は、脚本家やプロデューサーが誰であれ一貫しているのだから、ドン・シーゲル自身の人生観からきていると考えられる。両大戦間にヨーロッパで暮らしたコスモポリタンとしての経歴や、ブルジュワ家庭と底辺労働者の生活の両方を体験したことが、この一種の無常観、アメリカ人監督らしからぬ19世紀的な人生観を育んだのではないか。青春時代を過ごしたヨーロッパをその後ヒトラーが席捲したことも、影を落としているかもしれない。
もうおわかりかもしれないが、クリント・イーストウッドがドン・シーゲルから影響を受けたのは、スタイル上の特長であり、テーマ上の特長は受け継いでいない。同じくシーゲルの弟子筋といわれるサム・ペキンパーに至っては、どちらも受け継いでいない。ドン・シーゲルという特異な監督の流儀は、やはり一代限りのものだったというべきだろう。
(この項まだ続く)
投稿時間 : 06:29 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
すでにご存じの方も多いと思いますが、7月7日~11日にWOWOWでドン・シーゲル監督の特集が放送されます。
放送されるのは以下の4作品(おすすめ順)。
殺人捜査線
The Lineup (1958) WOWOW IMDb
第十一号監房の暴動
Riot in Cell Block 11 (1954) WOWOW IMDb
グランド・キャニオンの対決
Edge of Eternity (1959) WOWOW IMDb
中国決死行
China Venture (1953) WOWOW IMDb
すべて50年代映画! すべて未DVD化! すべて名のみ知られた幻の作品! というマニア垂涎、映画ファン陶然のラインナップです。『第十一号監房の暴動』だけは、かつてアメリカ版VHSで見ることができましたが、それ以外はすべて、世界のどこでもいちどもソフト化されたことがありません。
『殺人捜査線』と『中国決死行』は、今回の放送が日本初公開。『第十一号監房の暴動』と『グランド・キャニオンの対決』は、劇場公開されていますが、テレビ放送はほとんどなかったはずです(少なくともこの30年ぐらいは)。
しかも、全作品、今回の放送のために制作された、オリジナル・サイズのHDマスターを使っての放送になるそうです。
(訂正:『第十一号監房の暴動』のみHDマスターではないとのこと。オリジナル・サイズなのは変わりません。7月7日追記)
ドン・シーゲルのフィルモグラフィを参照してもらえば判るように、要するにこれは、30~40代の働き盛りだったドン・シーゲル監督が、メジャーからBムービー専門スタジオまで、ハリウッドの大小の製作会社を渡り歩き、悪条件と戦いながら、自分のスタイルに磨きをかけていった時期の重要作ばかり。日本におけるドン・シーゲルの評価を、決定的に塗り替える特集になるに違いありません。
(この項まだ続きます)
投稿時間 : 07:24 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
1978年、15歳のときに『ダーティハリー』を見た。渋谷の東急名画座だったと思う。暗く爽快感のない映画で、暴力の匂いが強烈で、目を丸くして見た。その後すぐに『ドラブル』と『突破口!』も見た。どちらも新宿ローヤルだったと思うが、いくらぼんやりした高校生でも、この監督はすごいぞ、とわかってきた。そして年が明けてすぐ、奇想天外シネマテークで『盗まれた街』(この時の邦題)を見た。この体験も大きかった。
今になって考えてみれば、あのころのドン・シーゲルというのは、ハリウッドのBムービーの良い部分を受け継いだ、ほとんど唯一の生き残りで、だからこそ突出して見えたのではないか。
ドン・シーゲルというと、アクション映画を得意としたハリウッドの職人監督で、代表作は『ダーティハリー』で、クリント・イーストウッドの師匠格、というのが一般的なイメージだろうが、それはじつは全部まちがい、とは言わないまでも、的を射ていない、と今の私は考えている。
21歳でワーナー・ブラザースに就職し、32歳で監督デビューしたドン・シーゲルにとって、『ダーティハリー』は還暦を目前にして監督した29本目の長篇。つまり「後期の代表作」「集大成」ではあっても、これをキャリアの中心に置くのは無理がある。
また、プロデューサーの要請に応えて一定水準の作品をコンスタントに作るのが「職人監督」なのであって、強い反骨精神の持ち主で、無能なプロデューサーの干渉を嫌ってじつに9社を渡り歩いたドン・シーゲルは、「独立独歩の監督」と呼ばれるべきだろう。
そして、イーストウッドの作風には確かにドン・シーゲルの影響が見られるのだが、シーゲルの最大の魅力である(あ、結論を書いちゃった)「人を善悪で峻別しない態度」は、必ずしもイーストウッドに受け継がれていない。
映画秘宝の原稿では、すべての作品に触れる紙幅はとてもなかったので、思案のあげく、いまだDVD化されていない作品からベスト5を紹介して、将来の全体像研究につなげる、という変則的な内容でまとめた。
まずは作品リストを見てほしい。
ドン・シーゲルの監督作リスト
(未)は劇場未公開
1 遙かなる星(1945)短篇
2 Hitler Lives(1945)短篇
3 The Verdict(1946)
4 Night Unto Night(1949)
5 仮面の報酬(未)(1949)
6 抜き射ち二挺拳銃(1952)
7 No Time for Flowers(1952)
8 暗黒の鉄格子(未)(1953)
9 中国決死行(未)(1953)
10 第十一号監房の暴動(1954)
11 地獄の掟(1954)
12 USタイガー攻撃隊(1955)
13 ボディ・スナッチャー 恐怖の街(未)(1956)
14 暴力の季節(1956)
15 殺し屋ネルソン(1957)
16 Spanish Affair(1958)ルイス・マルキナと共同監督
17 殺人捜査線(未)(1958)
18 裏切りの密輸船(未)(1958)
19 グランド・キャニオンの対決(1959)
20 疑惑の愛情(未)(1959)
21 燃える平原児(1960)
22 突撃隊(1962)
23 殺人者たち(1964)
24 犯罪組織
25 太陽の流れ者(1967)テレビムービー
26 刑事マディガン(1968)
27 マンハッタン無宿(1968)
28 ガンファイターの最後(1969)アラン・スミシー名義
29 真昼の死闘(1970)
30 白い肌の異常な夜(1971)
31 ダーティハリー(1971)
32 突破口!(1973)
33 ドラブル(1974)
34 ラスト・シューティスト(1976)
35 テレフォン(1977)
36 アルカトラズからの脱出(1979)
37 ラフ・カット(1980)
38 JINXED ジンクス(未)(1982)
他に「サンフランシスコ・ビート」「フロンティア」「非常線」「ブレーキング・ポイント」「ミステリーゾーン」「全艦発進せよ!」「西部の流れ者ジェシー・ジェームズ」などのテレビシリーズのエピソードを、15話ほど監督している。
そして、このリストのうち、いまだに見ることができずにいるのが、2, 4, 7, 15, 16 の5本。なかでも15の『殺し屋ネルソン』は、公開当時の評価も高く、何をおいても見たい作品なのだが、いまだに機会がない。公開当時に見たという人はいても、その後どこかで見たという話は聞いたことがないので、プリントが現存するのかどうかすら心配している。
さて、私の考える「DVD化されていないドン・シーゲルの監督作ベスト5」は、この5本である(製作順)。興味があったらぜひ映画秘宝を読んでみてほしい。
The Verdict(1946)
仮面の報酬(1949)
第十一号監房の暴動(1954)
The Lineup(1958)
太陽の流れ者(1967)
このうち『仮面の報酬』と『太陽の流れ者』は残念ながら短縮版でしか見たことがないのだが、『仮面の報酬』はついに米盤DVDが出るというので楽しみにしている(7月31日発売)。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000PKG7CK/
投稿時間 : 03:48 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)
3月16日のエントリーで触れたドン・シーゲルについての原稿だが、6月21日発売の映画秘宝8月号にようやく掲載された。肝心のDVDボックスが発売延期になっていたためだが、これがついに7月18日発売と決まり、原稿も陽の目を見たというわけだ。
ドン・シーゲル・コレクション DVD BOX
Amazon.co.jp
ドン・シーゲルの監督作というのは38本あるのだが(テレビシリーズを除く)、3月の後半は、このうちの見られるものをすべて製作順に見直すという作業に没頭していた。毎日ほぼ2本ずつのペースで、見終わったらメモをとり、気になる部分があれば何度も見直し、自伝や評伝やインタビューの関連記述を読み、要するに1日のうち12時間ぐらいは当時のハリウッド映画のことしか頭の中にないというドン・シーゲル漬けの日々を送っていたのである。
黄金時代のハリウッドの、それもおもに編集室の周辺で修行を積んだだけあって、ドン・シーゲルの映画にはおよそ無駄なショットというものがない。構図やカッティングはつねに的確で、複雑なアクションでも少ないカットであっという間に見せてしまう。予算の制約が強い映画ばかりを撮っていたせいもある。
つまり、ドン・シーゲル作品は、扱っている主題と同じぐらい、叙述の形式が見もので、優れているのだが、さて、そんな映画ばかり半月も見ているとどうなるか?
一段落して、映画館や試写で新作映画に接してみると、これがもう絶望的なまでの壊滅ぶり。叙述が鈍重で、無駄が多く、リズム感がなく、かったるくて、何を見ても楽しめない。
現代の新作にドン・シーゲルと同じことを要求してもしょうがないのだが、それにしても、この「ドン・シーゲル後遺症」の症状は重く、おかげで、ふだんなら充分に楽しめたはずの『ブラッド・ダイヤモンド』だの『ホリデイ』だのといった、それなりの水準の映画ですら、首をかしげながら見るはめになってしまった。
ちなみに、このころ見た映画で、唯一の例外として満足できたのは『ブラックブック』で、これぐらいきちんと作られていれば文句の言いようもなく、さすがはポール・ヴァーホーヴェンと思わされたのだった。
(このポスターは頂き物。さっそく貼っています。ありがとうございます)
投稿時間 : 22:56 個別ページ表示 | コメント (0) | トラックバック (0)